土砂降りの雨の中、子猫を保護した秀一。それを知った陸人の反応は――。
あらすじ
CHARACTER
前平 陸人(まえひら りくと)
少々口が悪い、秀一のいとこ。
理由は不明だが引きこもりになってしまっている。
陽乃 秀一(ひの しゅういち)
諸事情により前平家に居候中。
ポジティブな性格。
恋愛対象は同性オンリー。
ザアアアア――…
うわぁ、降ってきちゃったかー。
天気予報で午後から雨とは言ってたけど、学校出ても晴れてたし、ギリギリ行けるかなって思ってたのに。
今日は寝坊したせいで、折り畳み傘入れてこなかったんだよなあ……。
「うーん……」
改札から居候先の前平家までは、走って大体10分くらい。
改めてスマホの天気予報を確認しても、これから深夜まで雨が止むことは無さそうだ。
帰るためだけにコンビニで傘買うのも、避けたいんだよな。ビニール傘って地味に高い。
たった数分のために貴重な貯金を崩すより、一時的に濡れたほうがまだいい気がする。
……うん、決めた。いっちょ走りますか!
雨を凌ぐにはあまり意味が無さそうだけど、制服の中に着たパーカーのフードを被って、改札から走り出す。
コインランドリーに洗濯行く日の前で、良かった。
***
駅を駆け出してから、ほんのわずかの時間。
降り出した雨は、あっという間にその強さを増し始めた。
ちょっと前まではまだ無かった水たまりが、早くもあちこちに出来上がっている。
豪雨とも言えそうな雨を薄地のパーカーなんかで凌げるわけもなく、案の定、制服もフードの中の髪の毛も、あっという間にびしょ濡れだった。
足を前に出す度、ズボンが肌に張り付いて動きにくい。
リュックも水を吸って重くなった気がする。
帰ったら、速攻で風呂に向かわなきゃ駄目なやつだ。
しかも今日って、東子(とうこ)さんが帰ってない日だよな。
……ってことは、陸人以外家にいないしタオルの用意も難しい。ビショビショのまま風呂場まで直行しないとダメってことだ。
それは普通に居候の身として申し訳ない。そういうの、全然考えてなかった。俺のバカ。
陸人は余程の理由が無ければ部屋から出てこないだろうけど……一か八か連絡してみる?
出来るだけ人と顔を合わせたくないみたいだし、めちゃくちゃ塩対応されるのが目に見えるけど……。
俺はスマホを取り出そうと、ズボンのポケットへ手を伸ばす。
「……」
ズボンが濡れてるせいで凄く取り出しにくい……!
悪戦苦闘しながらようやく取り出すも、今度は水滴のせいでタッチパネルの反応がめちゃくちゃ悪い。
てか画面見づら!これなら連絡してる時間、急いだほうがマシっぽい!
思い直して、連絡するのはやめることにする。
……奇跡的に、陸人がタオル用意して待っててくれたりしないかな?
……しないだろうなあ……。
***
たっぷりの水を含んでグショグショのスニーカーで走るのにも疲れて、結局途中からは、開き直って歩くことにして。
予定よりも少し時間をかけて、前平家のすぐ近くまで辿り着いた。
あれから、雨はひたすら強さを増す一方だった。
ふと目に入った排水溝からも、滝のような水が流れ出している。
……排水溝とか、旧地区じゃなきゃ殆ど見ないよなあ。
改新地区は、景観がどうとかで、こういう生活感のあるものって徹底的に隠されてるし。
俺的には、生活感があるのも楽しくていいと思うんだけどなあ……。
……。
……ん?
排水溝の近くで、なにかが動いているのが見えた。
もう暗いし、雨でかすんで見えにくいけど――確かに、なんかいる。
「……」
すでにびしょ濡れ度は限界突破してるんだ。前平家は目の前だけど、今さら急いで帰る理由もないよな。
動いている小さな何かが気になって、俺はそのまま排水溝へ近づいた。
「うわっ!」
その正体を確認して、思わず声が漏れた。
「ニャー……」
そこにいたのは、小さな子猫だった。
あたりを見回しても、親猫の気配はない。
「雨ではぐれちゃったとか……?」
時々か細い声で鳴く灰色の子猫は、よたよたと動きもおぼつかない。
本来ならばもう少しふわふわであろう体毛も、しんなりしているせいで余計小さく見える。
まだ全然子供っぽいし、この天気でこのままここに置いていくのは、危ないような気がする……。
「……」
首輪とかもないし、この感じだと、飼い猫じゃないよなあ。
無暗に連れ帰っちゃいけないのはわかってるけど……。
このまま帰ったって、絶対こいつが気になって気が気じゃない。
――よし、あくまで一時的保護だ。
俺はそっと子猫を抱き上げると、今度は急いで玄関の扉を開いた。
***
「ただいまー」
陸人しかいない時は返事がないのを解ってるけど、習慣として呼びかける。
「えーっと、とりあえずお前を何とかしないとな」
腕の中の小さな猫を改めて見やった。
とにかくこいつをタオルで拭いてやりたい。
俺自身もびしょ濡れだ。そのせいで、玄関にもあっという間に水たまりが出来てしまった。
わずかに希望を持ってみた陸人も、やっぱりタオルと一緒に待っていてはくれなかった。
普通、天気予報で雨なら傘持ってくもんな。当たり前か。結局、連絡もしなかったしな。
……っていうか今更だけど、猫、家の中に入れちゃって大丈夫なんだろうか。
前平家、ペット禁止だったらどうしよう。
「ニャァ……」
腕の中で子猫が鳴いた。心なしか、寒そうにしている気がする。
どうしよう、まさかの立ち往生だ。
このままだと俺も子猫も凍えてしまう。というか、濡れて動きにくいし、普通に人手が欲しい。
ここまできたら迷っている暇はない。
「りっ……」
玄関から陸人を呼ぼうとして、すぐにそんなことをしても出てきてくれないだろうな、と思い直った。
代わりにスマホを取り出して、腕の中の子猫の写真を撮った。
それを、メッセージアプリから陸人へ送信する。
『は?』
数秒後、短いメッセージが返ってきた。
猫画像のせいかな。反応の早さ新記録だ。
普段も、部屋から出てきてくれないのにメッセージの返信は早いんだよな。素っ気ないのが悲しいけど。
でも、今日は特に早い返信がありがたい。
『すぐ近くで保護したんだけど、前平家って動物OK?』
『大丈夫だけど、飼うのは無理』
『飼うつもりはないけど見ての通りだからタオルが欲しい』
『風呂場の棚に入ってるから使えばいいじゃん』
『俺isびしょ濡れ』
『傘は?』
『持って行かなかった』
『馬鹿でしょ』
『いごきをつけます』
そこで、急にメッセージのやり取りが途切れた。
……呆れられて、返信切られたのかも。
つーか俺もいい加減寒くなってきた。許可は取れたから、濡れてて申し訳ないけど風呂に行こう。
猫は先にタオルへ包んどくとして……、俺が風呂出るまで、コイツ一人で大丈夫かな……。
子猫を見ると、小さく蹲るそいつは、さっきよりも元気がなくなっているように見えた。
「うわ、寒いよな! ごめん、急いであっためるから……!」
焦って靴を脱ごうとしたのと同時に、二階から、扉の開く音が響いた。
そのまま濡れた靴下を脱ぐのに手間取っていると、今度は階段を降りる音が聞こえてくる。
「ホントにびしょ濡れ……」
あれ?と思った時には、バスタオルを手にして小さく呟いた陸人の姿が目に入った。
「陸人出てきた! あはは、この雨は陸人のせいだな」
「朝から普通に雨の予報出てたし……。猫は俺が見てるから、さっさと風呂行きなよ」
そう言って、陸人はバスタオルを広げて見せた。
「良かったー。コイツ一人にして大丈夫かなって思ってた」
俺はタオルの上に子猫を託す。
「……一旦、部屋に戻ってるから。風呂終わったらメッセージ入れて」
「りょーかい!」
部屋に戻っていく陸人を見送ると、俺は急いで浴室へと向かった。
……俺の分のタオルは無かったけど、出てきてくれただけ良いってもんだよな!
***
「……で、どうするの? コイツ」
風呂を済ませたあと、陸人と居間に集合して、今出来る限りの子猫の世話をした。
灰色の子猫は暖かい場所に安心したのか、少し前に眠ってしまった。
陸人はそんな猫の首元を、指でそっと弄んでいる。
「明日になったら、学校行く時にでも元いた場所に戻そうかと思ってるんだけど、ダメかな」
「……ダメじゃないと思うけど。ちゃんと親のところに帰れるかな」
「うーん、それは何とも。さっきは近くに親猫いないみたいだったし」
「飼い主を探すとかは?」
「出来なくはないけど、見つかるまでの間は面倒みないといけないし、いつになるかもわかんないしなー」
知り合いの顔を数人思い浮かべてみるも、みんな飼うのは難しいか、飼えるかすぐには解からなさそうな人ばかりだ。
「それもそっか。……なら一時的に、秀一の家の人に預かっててもらうとか」
「残念だけどそれは無理だなあ、母さんが猫アレルギーだから」
「あ、そうなんだ……。なら、やっぱ元いた場所に帰すのがいいっぽいね」
そう言って、陸人は眠る子猫の前足を軽く指でつついた。
……陸人、久々に楽しそうだな。
俺は、隣にいる陸人の顔をそっと盗み見る。
家の中なのにずっと被りっぱなしのフードと、伸びた前髪が顔にかかっていて表情はよく見えない。
……でも、顔緩んでそう。いつもはしかめっ面なのに。
なんだかんだで、陸人ってこういうのほっとけない奴なんだよな。
結局、引きこもってツンツンしてても、根っこは昔と全然変わってない。
……髪、切らないのかな。前髪くらいなら自分で切れそうなのに。陸人、器用だし。
もっとはっきり陸人の顔が見たい。たまにこうして見た限りでも、昔遊んでた頃より、ずっと男らしくなったと思う。
会わなかった数年の間に何があったんだろう。……俺にだけでも、話してくれればいいのに。
なんて、俺も、陸人に言えないことが沢山増えちゃったけどな。
会わない間にいろんな男の人と寝た、って話したら、二度とこうやって話せなくなるんだろうなあ……。
「……なに? じっと見られるの嫌なんだけど……」
「え?」
陸人の声にハッと我に帰る。
盗み見するつもりが、いつの間にかまじまじと眺めてしまっていた。
「……あはは、ごめん。陸人、今日は全然部屋に帰んないんだなーと思って」
焦りを誤魔化すように笑ってしまった。
変に思われてたらどうしよう。
「え? ……いや……、だって猫に罪はないし……」
「あはは、猫強いなー。可愛いもんなあ」
「……」
俺の言葉に、陸人はなにか言いたげな視線を向けてくる。
でも結局、何も言わず、再び指先で優しく子猫の首元を撫でていた。
……とりあえず、さっきのことは誤魔化せたかな……?
「でもこいつ、本当可愛いよなー。母さんがネコアレルギーじゃなかったら家で飼うんだけどなあ。猫缶も余ってたし……」
「え?」
「え?」
「いや、なんで猫缶が余ってるの……?」
「え? 余ってたからだけど?」
「そうじゃなくて……、おばさん、ネコアレルギーなんでしょ? 必要ないよね?」
「うん」
「だから……。……、……まあ、別にいいか。俺に関係ないし……」
「あ、父さんはネコアレルギーじゃないからな」
「じゃあ、おじさんが野良猫にあげてた、ってことだよね?」
「ああ、あげてたかも?」
「……」
陸人が、かわいそうな人を見るような目で俺を見る。
「ヤダ! その目やめて!」
「……。ならまともに会話して。さっきもだけど、秀一、結構会話が怪しい時あるから」
「ええ~……?」
「せっかく改新地区で暮らしてるんだから、秀一はもっとまともに教育機関を利用して……って、そういえば、改新地区って野良猫に餌やるの、全地域で禁止されてなかったっけ?」
「ん? そうだけど、近所のじーさんとか普通にあげてたよ」
「ふぅん……?」
陸人は一瞬だけ変な顔をみせるも、今度は徐に立ち上がって、そのまま部屋を出て行った。
居間の扉が閉まる音の後、階段を上る足音が聞こえる。
気が済んだのか、自分の部屋に戻ったらしい。
「……俺、そんなに会話やばいかな」
俺も子猫を撫でて問いかけてみれば、にゃぁ、と寝言のように小さな鳴き声があがった。
「あはは、お前も陸人と同じ意見かあ……」
……そういえば、結局こいつに名前とか付けなかったな。
昔の俺たちなら、きっと真っ先に考えてたんだろうなあ。
とはいえ、今回はすぐにお別れだしな。また会えるかもわからないし。
陸人と色々話せたし、今日はコイツに感謝だな。
あとは、ちゃんと明日、コイツが親猫に会えたらいいなあ。
「……でも、ちょっとお前が羨ましいかも」
寝顔を見ながら思わず言葉がこぼれ出た。
けれどもそれとは裏腹に、俺の口元は緩んでいる。
こいつを助けられたことも、陸人と話せたことも、嬉しかったからかな。
……そういえば、東子さんにも今日のことをちゃんと報告しておかないと。
珍しく陸人が楽しそうだったことも内緒で伝えておこう。
折角だから、東子さんにもこの寝顔をお裾分けするか。仕事の疲れが癒されるかもしれない。
俺は、傍らに置いてあったスマホを手に取ると、子猫の寝顔へカメラを向ける。
静かな雨音に、時を切り取るようなシャッターの音が重なった。